クマタカ物語〜春の出来事〜

それは、私の幼い一人遊びだったんだ。
早春の川岸に立つ。空を見上げる。目を閉じる。
風が川面を走り抜け、私の体に吹きつける。
手のひらを向けると、風と手をつないでいるみたいだ。

祖父母の時代、ここは深い森だった。
サケやマスが群れをなして川を上り、海と森をつなぐ川は生きていた。
よく聞く母の昔話がある。
「子供の頃、よく小学校の通学路に昼寝をしている大きなヘビがいて、そのたびに泣きながら家に逃げ帰ったのよ」と。
どんな景色が広がっていたのだろう。まぶたの裏に思い浮かべてみる。
それは小さい頃からの私の一人遊び。
この場所の50年前、100年前、千年前の姿を想像する、ただの空想遊び。

今は別のことも考える。
ダムが川をせき止めた時、森がなぎ倒されて消えた時、なにが起こったのだろう。
何年もかけて海を巡り、長い旅から帰ってきた魚達は呆然としただろう。腹に大切な命を抱えたまま息絶えたのだとしたら、どんなに無念だっただろう。そして森で山で、たくさんの命が飢えただろう。厳しい冬を前になすすべもなく。
逃げても、逃げても、人の手が迫ってくる。
人はよく、動物達が消えたという言い方をする。
まるで消しゴムで消したみたいに。
そこにある痛み、そこにある嘆きが聞こえない。
みんな生きているのに。
だから今、しっぺ返しがきている。
世界で一番貧しい大統領の言葉を借りれば、生き方の危機、なのだろう。
そんな事を考える。

川岸で目を開ける。
今日はいい天気だ。あたりはまだ一面の雪だけれど、三月の風は柔らかい。
その時だった。
対岸の山から、大きな鳥がゆっくりと飛んできた。
大きく旋回しながら飛ぶその姿。
(写真はクリックすると大きくなります)

がっしりとした大きな体、黒い顔、そして喉にはっきりと見える黒い線。
まさか。
私は目を疑った。

その鳥は、空想遊びの中でしか会えないと思っていた。
森が切られた時に追いやられてしまったのだと。
だけどその鳥は、陽の光に輝きながら私の頭上を何度もまわり、山の中腹の木にとまった。

森の王者クマタカ。
この出会いに感謝する。

この瞬間から、クマタカは空想遊びの住人ではなく、隣人になった。守りたい、大切な隣人だ。

季節は巡り、再び春がやってきた。
まだ全ては雪の下に眠っているけれど、鳥達はさえずりだし、早起きの虫が雪の上を歩き出す。
そんな早春の出来事だ。

人に残っている野生の勘は、どれほどのものだろう。
その日、散歩に出た私の前方を、四羽のトビが横切った。
甲高く鳴く声を聞いた時、なぜか胸の鼓動が速くなった。ザワザワと落ち着かない、妙な気分だ。
まるで誰かに呼ばれているような、誰かが誰かを呼んでいるような。
いつもなら、ゆっくり歩く散歩道を足早に進んで行くと、カラスが何かをくわえて飛んできた。
そこでようやく、ああ、鹿が死んでいるのだなと思う。冬期には珍しいことではない。死因は色々だが、カラスやキツネなど、様々な動物たちの冬の貴重な食料だ。
だけど何かが変だ。いつもと違う。
カラスたちが静かだ。まるで息をひそめるように。
さらに進んだ時だった。ぶわっと大きな黒い塊が飛び立った。カラスの群れだ。
この時まで、これほどのカラスがいるとは思っていなかった。それほどに静かだったのだ。
ぎゃあぎゃあ騒ぎながら去っていく。飛び立った跡を見ると、思ったとおりメスの鹿が倒れていた。
そして、カラスがいなくなったからだろう。一匹のキツネが近寄って鹿にかじりつこうとしていた。
キツネの写真を撮ろうと、私はカメラをかまえた。その時、ファインダーの中のキツネが、驚いたようにたたらを踏んだ。
同時に白い影が私の目の端を横切った。

ザワッと総毛立ったのは恐怖ではなく、直感的にそれが何であるかを悟ったからだ。
山の麓の木にとまった一羽の鳥。

クマタカだった。

鹿を見下ろしながら、辺りをうかがうクマタカ。
敵意がないことを示すために、私はゆっくりとしゃがみこんだ。

なんという姿だろう。
羽を広げると約160㎝にもなる、まさに森の王者だ。
アイスブルーの美しい目。白いおなか。
まだ幼い若鳥だろう。
青い目は、年を重ねるごとに黄色やオレンジに変化していくからだ。
そしてその顔。
他のどの猛禽よりも鋭さを感じさせる。
カラスやキツネが逃げ出したのも納得できる。同じくらいの大きさでも、相手がオジロワシなら、カラスは鹿を譲らなかっただろう。

そして。
それは舞い降りた。

木々の間をすり抜ける時、大きな翼をひっかけそうなものだが、音もなく一瞬で地上にいた。
その機動力にまた驚く。

そして鹿に近寄ると、するどい爪で押さえつけながら食べ始めた。
時折羽を広げ、力強く肉をついばんでいく。時には骨を持ち上げ、筋を引っ張る。
見ている私には目もくれない。害意のない人間と判断されたようだ。

鹿の命が、クマタカに取り込まれていく。
鹿がクマタカになる。
めぐるめぐる命の輪。
クマタカもその生を終えたなら、誰かの命となって、森の糧となって、生き続けるに違いない。
その時までの一瞬一瞬を、宝物のように抱えて彼らは飛ぶ。

生きている。
ただそれだけで、すべてはつながっているのだと思う。

食べ始めて30分は経っただろうか。
クマタカのそのうはパンパンだ。(そのうは食べたものを貯めておく消化器官)
そろそろ食事も終わりに近いだろうと思った時、クマタカに近づく者がいた。
キツネだ。先ほど逃げたはずだが、クマタカが満腹になるのを待っていたのだろう。
しかしよく見ると。

目をつぶっている?!

さも関心がないようなそぶりで、目をつぶったまま、自然にクマタカのそばに寝そべった。
いや、不自然だけど。

かたくなに目を開けないキツネ。
たぶん必死の演技。
そしてたぶん、目を開けて視線が合ってしまったら、戦いになってしまうのだろう。

20分は経っただろうか。ついにキツネが動きだした。
一度離れて、毛づくろいなどしながら様子をうかがう。目はつぶったままだ。
クマタカが再び鹿を食べ始めると、何気ないそぶりで近づいてきた。
懸命なかけひきが続く。

近づきすぎたか? クマタカが羽をふくらませた。
キツネの目が薄く開いている。大丈夫?

そして、次にクマタカがとった行動は、驚くべきものだった。
大きな羽をゆっくりと開いていく!!

開いた羽を獲物にかぶせる。まるでシェルターだ。
渡す気は微塵もないらしい。

それでも退かないキツネ。
するとついに。
クマタカが怒った!!


その姿、まるでウルトラマンと戦う怪獣だ!!
私がキツネなら気絶しそうだ。
そのままクマタカがキツネに飛びかかった!!
だが、木の陰に隠れてよくみえない。どうなった?!

クマタカがジャンプしてこちらに戻ってきた。
キツネはゆっくり歩いてくる。

じっとにらみ合う。すごい緊張感だ。

きっかけはなんだろう。
クマタカが再び襲いかかった!!

キツネはすごすごと離れて行ったが、諦めきれないのか、もう一度だけクマタカの後ろに近寄った。再び目をつぶって。
だが、今度は通用しなかったようだ。
威嚇されて、離れたところに座り込んだ。背中に哀愁がただよう。

再び鹿を食べ始めたクマタカ。
だが、ふと顔を上げて上空をにらんだ。

オジロワシだ!
真っ白な尾羽。数年を生きた立派な大人だろう。
すぐそばの木にとまり様子をみている。
力の差でいけば、クマタカが圧倒的に有利だと思われる。
だが、まだ親離れしたばかりの若鳥だ。大人のオジロワシに敵うのか?

しばらくクマタカを見つめていたオジロワシは、一度退くことを選んだようだ。
大人だからこその判断かもしれない。クマタカがすでに満腹であることを見て取ったのだろう。

オジロワシが去るのを見送ったクマタカは、ゆっくりと辺りを見回した。
そして。
飛び去るのではなく、近くの藪に飛び込んだ。

飛び立つ瞬間を狙ってカメラを構えていた私は、少々ずっこけて、その後ろ姿を撮り逃がしたが、なんだか声を出して笑いたい気分だった。
よく見れば、居心地のよさそうな藪だ。
そこでゆっくりと昼寝して、肉を消化するのだろう。
邪魔にならないように私もその場を離れることにした。

ふと見ると、キツネが戻ってきていた。
次のライバルが現れる前に、せっせと鹿に食いついている。
思わず「がんばれ!」と声をかけて、私は家路についた。

それは、ある春の出来事。

もうすぐ雪が溶けて、眠っていた木々が芽吹き始める。大好きな新緑の季節がやってくる。
また、新しい命の物語が始まるのだろう。

命は、奇跡だと思う。
誰も知らない奇跡がこの星にはあふれていて、だから私たちは生きていける。
この星から奇跡の物語が消えないように、切に願う。

守るものはまだある。
どうか守られますよう。守ることができますように。

2022年3月 空ちゃん

 

→クマタカについての詳しい記述は、「お散歩で出会う生き物たち」のクマタカのページをご覧ください。(クマタカ